住宅を設計するときに心がけていることがいくつかある。そのひとつは押し付けがましくならないようにするということである。
住宅は店舗やオフィスや公共の建物とは違い、人との関わり合いが極めて深い。店舗や公共の建物は非日常的に使用するだけだが、 住宅は人の日常にどっぷりと関わることになる。特に主婦や子供や老人の関わり方は、朝から晩まで終日に及んだりする。しかもその営みは何十年と続き、そこで生まれ、育ち、死ぬという場合でさえあリ得るのだ。とにかく関わっている時間が他の建物と比べて圧倒的に長い。またその関り合いの内容もさまざまで複雑である。家族の団欒、知人との交流といったコミュニケーションの場であり、 一方で、ひとりで考え事をしたり、疲れた体を休めるためのプライベートな場であったりもする。人の喜怒哀楽とすべてに関わるのが住宅なのである。それだけに押し付けがましくならないようにしなければならないと思う。一時的な流行やしゃれた思いつき、一方的で極端な考え方、これらは商業施設ではおおいに必要とされるが、 住宅の設計では慎まなければならない。 むしろ住宅は普通であることが望ましいとさえ思っている。ただし、普通と言うには凡庸という意味ではなく、普遍性に通じるという意味で、長い間変わることのない確かな質というものを備えていかなければならないという意味である。
価値観の変化が激しい昨今であるからこそ、何が変わらないか、何を変えてはいけないかをしっかりと見据えなければならないと思う。
住宅を設計する時には、その中で行われるであろう行為の複雑さや長い時間の中での変化を読み込んで、それら全てにきめ細かに対応することを考えつつも、しかし最終的に、出来上がる空間と形態にはそれら全てを受け入れる寛容さと、凛とした単純さが備わってなければならない。ありとあらゆる生活の場面を綿密に考え抜いたあげく、それらすべてに対応することが可能な単純で明快な形態を見つけ出すこと、それが住宅設計の極意ではないかと考えている。
建主の言うことは全部聞くことにしている。建主の家を造るのだから当たり前のことである。ただし、だからといって建主の言う通りに建てるわけではない。当然建主のやりたいことと自分がやりたいことが食い違うことがあるが、その時はどちらかが我慢するのではなくそのふたつの考え方を越えてお互いが納得できるような新しい考え方が生まれるまで考え抜く。根気と忍耐のいる作業だが、ここにこそ新しい発想の生まれる好機がある。つまり、建主の無理な要求や矛盾した考えが、実は新たな発想のきっかけとなったりする。そして建主が全く考えつかなかったけれども、建主の思いを本人の予想以上に表現した案を提示する。これが住宅設計のひとつの醍醐味ではないだろうか。
そして、建主の人格や風格や個性までも的確に表現した上で、なおその家が自分の設計した家だとわかってしまう特徴と一定の質とを備えているとすればそれが建築家の個性だと私は考えている。
店構えとか門構えという言葉があるが、家にも構えというものがあって、これが大切だという思いがある。外に対してどう構えるか。つまり家の外観の印象、及び家とその外界との関係の問題であるが、これはプランに取り掛かる前、設計の最も初期の段階で、建て主に合って敷地を見た時からイメージを固めていく。その基準となるのは、ひとつには建て主が求める家のイメージがあるが、一方でその土地の周辺の状況であったり、こちらから見た建て主の印象だったりする。それはまずあいまいな形容詞で表現される。例えば、慎ましやかな構えなのか、堂々とした構えなのか、厳格なのか気さくなのか、閉鎖的なのか開放的なのか、周囲に対して個性的なのか協調的なのかといった漠然とした印象付けに始まり、次第にボリュームの見せ方やその配置外構やアプローチの取り方、屋根の形やその材質、壁面と開口部の配置といったその家の具体的な外観イメージに及んでいく。
それらを統合して「構え」といっているのだが、それを初期の段階でぼんやりと考えながら、平面計画に取りかかる。もちろん、設計の途中で当初のイメージは変わっていくが、それを設計の出発点とするのが自分のやり方である。