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「建築の旅」24

2023.02.03建築の旅

こんにちは。

今回はまずナポリ近郊のポンペイを訪れます。
前回はオスティア アンティカに行きましたがポンペイも同じような都市遺跡です。西暦79年にベスビオ山の噴火による火災流で一瞬にして滅びてしまった話はあまりに有名です。
道路は舗装され、歩車道は分離されています。車線も分かれていました。
約2000年前の小さな地方都市ですが、野外劇場や競技場などの公共施設も充実していてまるで現代都市のようです。
これは公衆浴場の遺構。
中の装飾まで残っていて今でも使えそうです。光が綺麗ですよね。
これは住宅の遺構。
イタリアの南部は夏が暑いので、屋根付きの中庭に水盤を設け空気の温度を下げていました。天井も高くて涼しそうですよね。
これはワインバーの遺構。
素焼きの壺にワインを入れ、表面からの蒸散作用で冷やしていたようです。
これは遺構ではなく、現地の公衆トイレ。
2000年前とあまり変わらねシンプルさでした。



1世紀半ば頃にはかなり大規模な公共施設が作られるようになりますが、その最たるものがローマのコロッセオでした。
西暦80年、ティテゥス帝の時代に完成しました。
外壁はもとはトラバーチンでできたギリシャオーダーで装飾されていました。
楕円形の建物の最上部には蜘蛛の巣のようにロープが張られ、キャンバスの日除けが設けられていました。
ローマ市民はここで猛獣と奴隷や、奴隷同士の殺し合いなどの見せ物に熱狂しました。
地下には奴隷戦士や猛獣が閉じ込められていた部屋があったり、それらを舞台に登場させるせり上がり機構などがありました。もちろんその機構は奴隷たちによる人力で動かされていたので、それを思うと怨念がこもっているようなおどろおどろしさを感じてしまいます。
当時のローマ皇帝たちは自身の政治力を誇示するかのように、競って大規模な施設を建設します。

中でも14代皇帝ハドリアヌス(西暦117-138年在位)はかなりの建築好きで、ローマにパンテオンをつくった他にも、各地にさまざまな公共施設を造営します。彼は在位して間もない118年にローマ郊外のティボリというところにヴィラ ハドリアヌスという自身の広大な別荘を建築します。
別荘といっても、小さな都市ですね、この規模は。
ハドリアヌスは私生活ではアンティノウスという美青年を寵愛し、ギリシャ文化に心酔していて、詩人としても才能豊かな人でした。
ヴィラ ハドリアヌスはそんな彼にとっての理想郷だったのでしょう。
この上ないお風呂好きとしても有名でした。
これはヴィラの中の浴場の遺構。

ローマ人のお風呂好きは相当なもので、22代皇帝のカラカラ帝は西暦216年にローマの南部郊外に巨大な温浴施設を造営します。
広大な敷地に、お風呂だけでなく、図書館やさまざまな娯楽施設も併設していて、一大レジャーランドのようなものでした。
このような温浴施設を維持するためには膨大な量の薪が必要だったのは想像に難くありません。
ハドリアヌス帝の頃にはすでにローマ近郊の山の木は全て切り尽くされていて、薪はかなり遠方から運ばれていました。山の木を切ると土壌が流れ、周辺の農地も地力が失われます。
公共施設の作りすぎが環境破壊を招き、その結果、文明が衰退していきます。
古代ローマ社会はなんとなく現代の日本社会と似ている気がします。

ヨーロッパにキリスト教が浸透する前の社会なので宗教心が希薄。欲望剥き出しでハメが外れているところ。やたらに建物をつくるところ。そしてお風呂が好きなところとかですね。

その大ローマ帝国も、ハドリアヌス帝の時期が絶頂期でその後衰え、西暦400年頃に分裂し、消滅してしまいます。

日本もそうならないためにはどうしたらいいか。
そう考えるとローマを考えるのは面白いと思っています。

では、また次回に。

(横内)