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「建築の旅」46

2023.07.14建築の旅

こんにちは。

今回はライト-レーモンド-吉村順三という流れを追います。

まずはライトの自由学園からです。
プロポーションが低く、美しいですね。
そしてライトの弟子のレーモンドは日本に移住し、多くの建物を設計します。

まずは軽井沢の聖パウロカトリック教会です。
1935年に竣工しました。



次に軽井沢の夏の家。
1933年の竣工で、現在は移築され、ペイネ美術館となって公開されています。
見に行ったのは2008年ですが、状態はあまり良くありませんでした。湿度が高い軽井沢で木造の建物を状態よく維持するのは難しいのでしょう。


次はレーモンド事務所の軽井沢新スタジオです。1962年に完成しました。 
元はトタンの上に茅を葺いていました。

中はこんな感じ。

当時教えていた大学院の学生たちと見学に行った時の撮影です。

これは中心にある暖炉で、屋根を支える構造にもなっているのが特徴です。
原設計では両面が火口となっていましたがうまく燃えなかったらしく、あとから円形にスライドして片方の火口を塞ぐ鉄板のふたを追加したようです。

杉の間伐丸太を使った木組みは無駄がなく美しかったです。

レーモンドは私の師匠の前川國男や吉村順三など、素晴らしい弟子たちを輩出します。
特に吉村順三はレーモンドから学んだ近代建築の合理性と、日本の木造建築の伝統を見事に融合し、戦後の現代住宅における独自のスタイルを確立します。そして私も含め、後に続く多くの建築家に今でも影響を与え続けています。
吉村順三の代表作は、軽井沢の彼自身の別荘である小さな森の家ですが、今から50年も前、学生の時に訪れて見せていただいたきり見てはいませんのでスライドがありません。

その後京都に移り住んでからすぐに、中村外二棟梁の紹介で吉村さんが設計した俵屋旅館の客室を見せていただく機会がありました。今はほとんどの部屋が改築されていますが35年前の当時はオリジナルのままでした。
以下はその時のスライドです。
街中の敷地なのですが、どの部屋にも必ず個別の庭が付いていて、しかも別の部屋からは見えないようにプランニングしてあるのが見事でした。

吉村さんは京都の茶室や数寄屋建築の伝統から多くを学んでいると思いますが、彼の作風には京都風のなよなよしたところがありません。
形式にこだわらず、偏狭な地域性や古臭さを捨て、普遍性のみを伝統から汲み取っているところが魅力なのだと思います。

俵屋には旅館ならではの面白い仕掛けが色々ありました。特にテレビをどう隠すかには吉村さんなりのこだわりがあったようです。
住宅でも設備をどう綺麗に収めるかはとても大切なところです。

最後に軽井沢に移築された坂倉準三設計の旧飯箸邸をお見せします。
1941年竣工。
坂倉準三が40歳の時の作品です。

私の師匠の前川國男と坂倉準三はともにル.コルビジェの直弟子。二人はお互いを尊敬し合う友人であり、同時代を生きるライバルの建築家、さらには若い頃同じ女性を妻に取り合った恋仇という仲。
前川さんが自邸を作るのが1942年で飯箸邸竣工の翌年。その女性は結局坂倉さんの妻になり、そのせいかしばらくは独身を貫いていた前川さんとしては、この作品を意識しないはずはなかったのではないでしょうか。

と勝手に想像を膨らましながら見学しました。
私が大学院の学生たちと訪れたのは2008年。当時は三國シェフのレストランとして公開されていて移築されて間もない時期で、状態は良く、まるで新築のようでした。

居間の幅は2間、高さは3.2mで心地よいプロポーションでした。前川さんも坂倉さんもコルビジェの弟子なので吹き抜けは上手ですね。

南側開口部の大型ガラス開き戸。

斜めにテンションロッドが入ってますが、さすがに開けた時は戸先を石の上に預けていました。


ではまた次回をお楽しみに。

(横内)