コンセプトConcept

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横内敏人の住宅設計・10のコンセプト

1.自然と一体感がある家A House United with Nature

人間の生活は自然の摂理との調和の中にあるべきだと考えます。日々の暮らしの中で自然の美しさや豊かさや快適さを感じることができ、人間の生活が自然の豊かな多様性の一部であると実感できるような家が 理想だと考えます。

2.家と庭は一体に設計するContinuity of House and Garden

自然を感じられる家にするためには庭の存在が欠かせません。「家庭」という言葉が家と庭で成り立っているように、その2つは人の生活にとって切りはなすことができない大切な要素です。ですから家をつくる時、私は常に庭と家を一体で設計します。

3.開口部を大切にするImportance of Openings

庭と家の関係を密接にするためには開口部のあり方が重要になります。アルミサッシをポンと付けてしまえば簡単ですが、それでは素敵な家にはなりません。また開口部はプライバシィの確保や防犯の問題、熱損失の問題もありますし、何より光が美しくなくてはなりませんので細心の注意をはらって、その家に最適な開口部を設計するよう心がけています。

4.自然素材に囲まれた生活Natural Materials

家作りの素材はできるだけ自然のものが良いと思っています。特に内装材は木や草や紙や土といった自然の味わいがあるものにしたいと思いつつ設計をしています。その方が時がたつにつれて味わいが増す家になりますし、何より自然の素材は人の心を安心させてくれるからです。

5.家具は家に合うものを選ぶSelecting Appropriate Furniture

家具は体に触れるものですから、その良し悪しが生活の豊かさを大きく左右します。せっかく良い家を作ってもそれに合わない家具だとせっかくの家が台無しになってしまいかねません。私の設計する家には機能的でデザインのすぐれた北欧の家具が一番合うと思っていますので、そのようなものをお勧めしています。

6.ひかえ目な外観と豊かな内部Modest Exterior and Rich Interior

限られた予算で家をつくる場合、外観とインテリアとどちらを優先するかと問われたら、迷わず「インテリア」と答えます。なぜなら、家は中に住むためにつくるものであって、他人に見せびらかすためにつくるものではないからです。家の外観は耐久性さえあれば、むしろ周辺の街並みにとけ込むような、ひかえ目なものの方が良いと思っています。

7.収納は十分に取るAdequate Storage space

豊かな生活をするためには、身の回りにさまざまなものが必要です。それらのものが適切に収納できるようにしておかないと家の中がものだらけになってしまいます。ですから、収納は効率が良く、見た目もすっきりとした造り付けのものを中心に十分に取ることを心がけています。

8.設備に頼りすぎない快適さRelying less on the Equipment

自然を感じながら生活するといっても、今日の生活に冷暖房や給湯の設備は欠かせません。暖房は床暖房を標準とし冷房は家の風通しを良くしたり吹き抜けをつくることで最小限におさえるというのが私の考えです。特に開口部は熱損失が大きいのでペアガラスを標準とし、家全体の断熱性能を上げることで、設備に頼りすぎずに夏涼しく冬暖かい家をつくることを心がけています。その方が地球にも優しくはるかに快適だと思うからです。

9.日本的なるものと西洋的・近代的なるものの融合Harmony of Japanese Tradition and Western Modenity

私の家づくりの哲学や美学は日本や東洋にもともとあったものをベースにしているのかもしれません。それは地球の将来を考えると大変思いに富むものだと考えます。それを西洋化・近代化された今日の私達の生活の中にどう取り込み融合させるかが大きなテーマとなっています。

10.建築としての住宅House as a piece of Architecture

どんな小さな住宅であっても、そこでの生活自体が豊かで美しく住宅はそれをやさしく包み込む空間芸術、つまり建築であってほしいと思います。建築としての住宅には考えに一貫性が必要ですし何よりも空間に質の高さが不可欠です。それは人間にとって変わることのない普遍的な価値を有することを意味していますが、時を越え、文化や国の違いを越えて久しく愛される住宅を目ざして、これからも設計を続けたいと考えています。

現代文明批評としての自然主義・地域主義WA-HOUSE 横内敏人の住宅

私たちの世代の未来は、その建築的キャリアの初めから常に危機的だった。

まず建築を学ぶため大学に入学した1973年に、オイルショックが起こる。中東からの石油の輸入が止まり、日本中が大パニックとなった。卒業する1978年には第二次オイルショックが襲い、不景気はどん底となった。23歳だった私はそんな日本に見切りをつけアメリカに留学したが、留学先の大学で当時最も盛んだった議論のテーマは、人類の将来のエネルギーの問題や、地球規模の環境破壊の問題、人口の爆発的増加に伴う水や食糧の問題など、決して明るいものではなかった。帰国して日本で修業を積み、いざ独立すると、今度はバブル経済がはじけてしまう。その後オウム真理教事件が起き、続いて阪神・淡路大震災に見舞われる。私たちにとって来たるべき21世紀は、子どものころ思い描いていたバラ色の理想的未来ではなく、いつの間にか混迷と不安に満ちたものに変わってしまっていたのである。そして世紀が変わるとすぐにワールドトレードセンターがテロで崩れ落ち、その10年後に東日本が大津波と原発事故に襲われる。

このまま現代文明が進んでいって、本当に人間は豊かになれるのだろうか。「進歩」や「発展」や「新しい」「速い」「便利」といった言葉が、何のためらいもなく肯定的に用いられてきた現代社会の価値観には、本当に問題はないのか。人間が豊かさを追求することは、生命体としての地球そのものの存続を危うくするものではないのか。本当の豊かさとは何なのだろう。さまざまな疑問が今でも頭の中に渦巻いている。近代主義に対して楽観的でいられないのが私たちの世代なのである。

もう一つの危機は、日本文化のアイデンティティの喪失の問題だった。戦後日本は欧米を手本にして急速な復興を成し遂げ、80年代には世界で第2位の経済大国にまで発展したが、では現代日本の文化的アイデンティティとは何なのですかと問われた時に、どうにも答えられない自分がそこにいたのである。アメリカでの留学でそのことに気づかされ、以来、私たちが自らを誇りに思い、後世に継承すべき素晴らしい日本文化の本質とは、一体何なのだろうかと常に考え続けている。

このような思いを抱きつつ建築の設計を行ってきた。あえて東京を離れ、京都の森の中に拠点を移したこと、木造を好んで設計してきたことや、自然と建築の関係を重視する設計手法など、すべて無意識に行ってきたことだが、元はといえばこの時代に対して抱く危機感がベースにあったのだと思い返すことができる。

その私の設計姿勢を端的に言うならば、自然主義と地域主義ということになるだろう。そしてそれにより微力ながらも、現代文明の行き過ぎを何とかしたいという批評的思いの現れが、ここに収められている小さな建築の数々だと言えるのかもしれない。

現代文明が危機的であっても、日本人がアイデンティティを失いつつあっても、いずれにしても後戻りはできない。この危機をむしろ転機としてとらえ、日本の伝統の本質を根底から理解しつつ、常に創造的であり続けること。それを実践して初めてこれらの危機を克服する思想と表現と様式とを獲得できるのではないかと信じている。

「和」の創造的精神WA-HOUSE 横内敏人の住宅

「和」ということばにはいくつかの意味がある。一つは日本という意味。もう一つは平穏でなごやかで仲がよいという意味。そしてもう一つは足し算の結果を和という。
私はこの「和」ということばが三つの異なる意味を持つことが、とても示唆に富んでいると思う。つまり、この国の文化が歴史的に見ても常にそれまであった在来の文化と、新しい外国からの文化との「足し算の結果」であり、その混乱と対立の中から「平穏でなごやかな」新しい秩序を生み出してきたことと言えるのではないか。そしてそれこそが「日本」の特質であり、日本人が最も得意とすることであり、日本人の生きる道であるということを「和」という一文字が教えてくれているように思うからである。

新しい文化を取り入れても、日本人はそれまであったものを決して捨てない。日本語ということばがよい例である。日本は漢字という書きことばを中国から輸入した。しかし、それまであった話しことばを捨てず、訓読みという形で統合してしまう。その後、かなという平易なアルファベットを発明したが、それまで使っていた漢字を捨てることをせず、漢字とかなを混ぜて使うようになる。さらに西洋文化の影響を受け始めると、カタカナを使って外国語を表記するようになる。私たちは無意識に漢字・ひらがな・カタカナの3種類の文字を混ぜて日本語を表記しているが、このような複雑で独自な表記システムをもつ国は日本しかない。私はこの言語形態こそ、「和」の精神がもたらした結果に他ならないと思うのだ。
また最近では、日本のハイブリッドカーが世界の自動車市場を席巻したことが記憶に新しいが、ガソリンエンジンと電気自動車を足し合わせて、まったく新しいシステムをつくってしまうこの感覚もまた、「和」の文化の典型的な例なのである。
私は「和」をこのように新しいものを生み出す創造的精神ととらえている。決して、保守的で懐古的なものだとは思っていないし、ましてや床の間・襖・障子といった形式的なものだとも思っていない。その意味では「和風」ということばとは似て非なるものだと考えている。

私の建築はその意味で、まずは西洋の近代建築と日本の伝統建築の「和」の結果と言えるのかもしれない。さらに私は常に対立する概念や価値観や美意識の両方に興味をもつ。例えば新しいものと古いもの、西洋と東洋、文明と未開、人工と自然、理性と野性、光と陰、外向性と内向性などである。そしてその対立概念の両方を何とかして取り込もうとする。その何とかして……というところに新たな創造の可能性を感じるのである。

どちらか一方を切り捨ててしまえば表現は純粋で明快となる。その方が簡単でわかりやすいが、そのやり方にはあまり興味がない。Exclusiveではなく、常にInclusiveでありたいと考えている。和の精神とは一見対立し、矛盾しがちな相異なる考え方や形式のそれぞれのよいところを見きわめた上で、それらを足し合わせ、その多義性と多様性が新たな豊かさをもたらすような秩序と調和を何とかして見つけ出そうとすることなのである。

和の精神は多様性を許容する。そして物事がどちらか片方に極端に行き過ぎることを防ごうとする。今日の文明が加速度を増して肥大化する現状を思うと、その文明の恩恵には感謝しつつも、何とかそれが行き過ぎないようにと祈るばかりである。和の精神は多神教的な日本人独自の哲学であり、その創造的精神を自己のアイデンティティとして自覚して行動するならば、私たちは今日の日本だけでなく世界でも、その秩序と調和の構築に大きく貢献することができると秘かに信じている。そのような大きな思いを胸に、住宅という小さな建築をつくり続けている。

森の文化と美しい日本の家住宅建築2002年2月号

住宅を造り始めて10年以上になるが、その間どうして自分は木造の家が好きで、それにこだわり続けてきたかを考えていた。そして7年前にこの誌上で数軒まとめて発表した時には、まだおぼろげだったその理由が、今はより鮮明に見えてきたと感じている。それは一言でいうと、森の文化に対する自覚の高まりと言えるかもしれない。
まず縄文以来1万2千年以上、日本の文化は森の文化であり続けたということ。そして、急激な近代化の中で大規模な自然破壊が行われたが、それでも国土の2/3が森林であり、いまでも先進国では稀有の森の国であり続けていること。ましてや、1万2千年もの長い間、森と親しむ中で形成された日本人の遺伝子とその間に育まれた精神性は、たかが100年足らずで簡単に変わるはずがないだろうこと。このようなことに対する自覚に他ならない。さらに、戦後復興のためにすべてを捨てた感のある日本人にとって唯一心の拠所となり、誇りに思えるのはこの森の文化以外にないのではないだろうかという思いがあり、それを現代の生活の中で再評価し、継承していきたいと願っているのだ。
その意味で、ここ数年の人々の自然指向とそれを取り入れた家づくりの関心の高まりには目を見張るものがあり、喜ばしいことである。それを達成するために自然素材の見直しやパッシブソーラー、屋上緑化、等の省エネルギーの試み、また産地直結の生産方式の実現や木造の高耐久性への努力など、様々な手法が建築家や施工者達によって実践されてきた。それも素晴らしいと思うし、自分もそれらに取り組んできた。しかしながら、それだけでは住宅が建築という森の文化の表現体になる十分条件とはならないとも考えている。むしろそれらは必要条件で、当たり前のものとして実現しなければならないものだ。
では何をもって満たされるかというと、住宅はやはり美しくなければならないということである。美しさのために他を犠牲にすることはないが、それでも住宅は美しく、生活も美しくなければならないと思うのである。そうあって初めて私達は森の文化の継承者となり、失われた自信と誇りを取り戻せるのではないだろうか。
そう言いきった途端、まだまだ修行が足りない自分に気づくのだが、それが制作欲求の源となって、いまも住宅の設計に取り組んでいるのである。

住宅設計についての私の考え方住宅建築2002年2月号

1.おしつけがましくない住宅

住宅を設計するときに心がけていることがいくつかある。そのひとつは押し付けがましくならないようにするということである。

住宅は店舗やオフィスや公共の建物とは違い、人との関わり合いが極めて深い。店舗や公共の建物は非日常的に使用するだけだが、 住宅は人の日常にどっぷりと関わることになる。特に主婦や子供や老人の関わり方は、朝から晩まで終日に及んだりする。しかもその営みは何十年と続き、そこで生まれ、育ち、死ぬという場合でさえあリ得るのだ。とにかく関わっている時間が他の建物と比べて圧倒的に長い。またその関り合いの内容もさまざまで複雑である。家族の団欒、知人との交流といったコミュニケーションの場であり、 一方で、ひとりで考え事をしたり、疲れた体を休めるためのプライベートな場であったりもする。人の喜怒哀楽とすべてに関わるのが住宅なのである。それだけに押し付けがましくならないようにしなければならないと思う。一時的な流行やしゃれた思いつき、一方的で極端な考え方、これらは商業施設ではおおいに必要とされるが、 住宅の設計では慎まなければならない。

むしろ住宅は普通であることが望ましいとさえ思っている。ただし、普通と言うには凡庸という意味ではなく、普遍に通じるという意味で、長い間変わることのない確かな質というものを備えていかなければならないという意味である。

価値観の変化が激しい昨今であるからこそ、何が変わらないか、何を変えてはいけないかをしっかりと見据えなければならないと思う。
住宅を設計する時には、その中で行われるであろう行為の複雑さや長い時間の中での変化を読み込んで、それら全てにきめ細かに対応することを考えつつも、しかし最終的に、出来上がる空間と形態にはそれら全てを受け入れる寛容さと、凛とした単純さが備わってなければならない。ありとあらゆる生活の場面を綿密に考え抜いたあげく、それらすべてに対応することが可能な単純で明快な形態を見つけ出すこと、それが住宅設計の極意ではないかと考えている。

2.建築家の個性について

建主の言うことは全部聞くことにしている。建主の家を造るのだから当たり前のことである。ただし、だからといって建主の言う通りに建てるわけではない。当然建主のやりたいことと自分がやりたいことが食い違うことがあるが、その時はどちらかが我慢するのではなくそのふたつの考え方を越えてお互いが納得できるような新しい考え方が生まれるまで考え抜く。根気と忍耐のいる作業だが、ここにこそ新しい発想の生まれる好機がある。

つまり、建主の無理な要求や矛盾した考えが、実は新たな発想のきっかけとなったりする。そして建主が全く考えつかなかったけれども、建主の思いを本人の予想以上に表現した案を提示する。これが住宅設計のひとつの醍醐味ではないだろうか。
そして、建主の人格や風格や個性までも的確に表現した上で、なおその家が自分の設計した家だとわかってしまう特徴と一定の質とを備えているとすればそれが建築家の個性だと私は考えている。

3.家の「構え」について

店構えとか門構えという言葉があるが、家にも構えというものがあって、これが大切だという思いがある。外に対してどう構えるか。つまり家の外観の印象、及び家とその外界との関係の問題であるが、これはプランに取り掛かる前、設計の最も初期の段階で、建て主に合って敷地を見た時からイメージを固めていく。その基準となるのは、ひとつには建て主が求める家のイメージがあるが、一方でその土地の周辺の状況であったり、こちらから見た建て主の印象だったりする。それはまずあいまいな形容詞で表現される。

例えば、慎ましやかな構えなのか、堂々とした構えなのか、厳格なのか気さくなのか、閉鎖的なのか開放的なのか、周囲に対して個性的なのか協調的なのかといった漠然とした印象付けに始まり、次第にボリュームの見せ方やその配置、外構やアプローチの取り方、屋根の形やその材質、壁面と開口部の配置といったその家の具体的な外観イメージに及んでいく。
それらを統合して「構え」といっているのだが、それを初期の段階でぼんやりと考えながら、平面計画に取りかかる。もちろん、設計の途中で当初のイメージは変わっていくが、それを設計の出発点とするのが自分のやり方である。

4.庭と家の関係

プランを考える上で最も重要なのは庭との関係である。自分にとって庭のない家というのは考えられない。庭とそこにある植物がどれほど人間の生活を豊かにしてくれるかは計り知れない。庭には常に命があり、そこからは生命の情報が日々刻々と発信されている。それにより人は慰められたり、勇気づけられたり、本来の自分を取り戻せたりするののだと思う。自然とは生命の情報であり、それはテレビやパソコンから発信される情報とはまったく異なって、人の生命体としての遺伝子に直接働きかける強さをもっている。

とにかく、理由は自分でも分らないが、どんな敷地条件でも庭をつくりたいと思うのである。そして、どのような庭を敷地のなかにどのように取るのか、という視点で家の配置を検討し、その家の住人がどのようにその庭と関わるのかという観点から平面を計画する場合が多い。

家の内部のプランニングと庭の設計は常に同時に進められ、基本設計がまとまる頃には庭のイメージも固まっている。

5.平面計画とインテリアスケッチ

基本設計の段階ではいくつかの案を検討するが、平面と断面のスタディは同時に進めていく。この時点で構え、つまり外観の問題はあまり重要ではなくなり家の内部を どうするかということに焦点を絞って計画を進める。内部空間こそが建築の命であり、住宅では特にきめ細やかな配慮がいたるところに 必要となるからだ。平面と断面が一応できたら、早い段階でインテリアスケッチを描いてみて、その良し悪しを検討するのだが、自分にとっては、このインテリアスケッチを描くことが 重要な設計プロセスとなっている。

このスケッチで、空間のプロポーションやその場の雰囲気、明るさや開放感などを確認した上で、さらに各部の仕上げやディティール、家具、照明にいたるまで一気に決めてしまう場合が多いからだ。
また、このスケッチは建主とのコミュニケーションにとても有効で、これによって こちらの設計の意図をかなり正確に伝えることができるし、雰囲気を理解してもらうことができる。

さらに、このスケッチは事務所員にも渡され、所員はこれに基づいて矩計や展開などの 実施設計を進めていくことになる。

6.木製建具へのこだわり

住宅に限らず、あらゆる建築において開口部をどうするかというのは、最も重要な問題である。しかし、特に住宅においては家の中で過ごす時間が長いため、室内と屋外の関わり方、あるいは熱力学的にみた開口部の性能がその家の良し悪しに直接影響を与えると考えている。だからこそ、開口部には特別なこだわりを 持っているのだが、特に木造ではやはり、木製建具を使いたい。木製にすると素材に異物感がなくなり、何より開口部が自由に設計でき空間を個性的にすることができるからだ。予算が足りない時はやむなくアルミサッシを用いることもあるが、その場合でも主な空間の建具は木製にすることにしている。

最近はコストを抑える意味でも、開く部分を限定して、嵌め殺しを多用し、また木製建具にありがちな気密性の悪さを解消するために隠し框の1本引きを用いる場合が多い。また大きなペアガラス戸になると100kgを越える重量となるので建具だけでなく、戸車やレール、敷鴨居なども独自の工夫が必要になり、そうでないとうまく行かない。

そこで木製建具にする場合すべてに枠廻り詳細図が必要となるが、それは膨大な作業となるので、設計者にもそれなりの覚悟が必要となる。

7.床について

床の設計をする時は、その高さが重要だ。事務所では庭との関係を親密に保ちたいため、できるだけ低く設計する。防湿した土間スラブの上に基礎パッキンを挟んで土台を乗せ根太を打って仕上げをすると地盤面から25cm上がりくらいで納まる。しかし、これでもまだ高すぎると感じていて理想的には15cm上がり程度に納めたいと常々思っているが、そのためには少し特別な納まりが必要となる。床仕上げはいつも選択が難しい。床暖房を標準仕様としているため、使用できるフローリングの種類が限られるからだ。耐久性やメンテナンスのしやすさなどの性能が求められるだけでなく、洋間の場合は視点が高く床が目立つため、床の良し悪しがその場の雰囲気を大きく左右する。

8.天井について

天井には、最近もっぱらサツマヨシベニヤを用いている。元来は、数奇屋の天井などに用いる素材だが、押縁を用いずに突付けで張ると和風のいやらしさが抜けて全く印象が変わる不思議な素材である。天然素材で湿気をとてもよく吸うため、室内の空気調整に役立つだけでなく、音も程よく吸収してくれるので、部屋が音響的にも柔らかく、落ち着いた雰囲気となる。そして何よりもコストが安い。単価は石膏ボードペンキ塗りよりも少し高いが、実はシナベニヤCLより安上がりなのである。それでいて自然な素材感があり、性能も良く、素朴だが安っぽくないところが気に入っている。

9.家具について

家具は庭とともに、家の中の生活を豊かにするための重要な要素である。したがって、初めから住宅と一緒に設計させてもらうことを建主には了解してもらう。特に、食堂や居間の家具は毎日必ず、しかも長時間使うものなので、少々高価な物であっても、使いやすく、耐久性があって、その家の雰囲気に合った美しいものを選定して、それを購入してもらうようようにお願いする。せっかく頑張って良い家を設計しても、ひどい家具を入れられたら、雰囲気だけでなく居住性が台無しになってしまう。いまのところ、北欧の家具が自分の家の雰囲気や求めているスタイルに一番合っていると感じている。中でも、ウェグナーとモーゲンセンの家具が好きで、これは学生のときから変わらない。もし自分が彼らの作るものより良い物が作れるなら、そうしたいと常々思っているが、特に木製のダイニングチェアなどは設計が難しいので、いまのところは彼らのものを有難く使わせてもらっている。ソファについては、蹴込みに引出し収納のついたものを設計して用いることが最近は多い。

特に、壁を背にしてソファを置くときには、下に埃だまりができず、ちょっと横になったりする時に掛ける毛布などを入れておくためには便利である。

ソファのクッションは耐久性と見た目を考えると、やはり革張りがベストだと思うが、日本ではいくら探しても良い革と芯材が見つからない。そこで最近は、モーゲンセンの家具を作っている。デンマークのフレデリシア社にクッションだけ発注して、それを使うようにしている。家具も床と同様に長い歴史のあるヨーロッパの国々から、まだまだ学ばなければならないことが多いような気がする。

10.いいとこどりと創造する伝統の可能性

よく横内さんの家は和風ですか、洋風ですか、と聞かれることがあるが、答えに困ってしまう。そのどちらでもあり、そのどちらでもないからだ。強いていうと「いいとこどりしています」と言うしかない。自分では復古的な伝統論者でもなければ、西洋かぶれの近代主義者でもない。なぜなら日本の伝統文化に通底する独自の精神性を誇りに思い、尊重したいと思うと同時に、我々の生活をこれまでに豊かにしてくれた近代という思想にも一方で敬意を払いたいと考えているからだ。なんとかそれらを自分の中で平衡させ、調合させ、統合させて、そこからさらに素晴らしいものを生み出すことができないだろうかと、試行錯誤を繰り返しているのが今の自分なのだろう。それを簡単な言葉で言うと「いいとこどりしています」ということになるのである。

 こういうと軽々しく聞こえるかもしれないが、しかし考えてみれば、日本の歴史はほとんどすべていいとこどりの歴史ではなかっただろうか。日本人は常に外国に目を向け、良いものがあればすぐそれを取り入れ、自らを順応させて国を発展させてきた。政治も思想宗教も文化も経済も、ありとあらゆる面でそうである。こういうと、いかにも節操のない民族のように思われがちだが、単純に全てのものを受け入れたわけではない。自分達に合うものと合わないものを厳しく選別し、合うものだけを取り入れて独自の文化を発展させたのであって、その選別の感性と、取り入れた異文化を融合させ、そこから新しい文化を創出する能力の高さこそ日本人の特質であり、それが広い意味で日本の伝統と言えるのではないだろうか。

 我々の近年を振り返ってみるならば、戦後の近代化と西洋化があまりに急激だったために、それに翻弄されて我を忘れていた感がある。経済の発展が一段落し、そのおかげでふと我に返ると、自分がそれまで誇りにしてきたものが、ことごとく失われつつあることに気づき、一対何を拠所にして生きたらいいのかわからないまま、自信を失ってうろたえているというのが、今の日本人の姿ではないだろうか。

もう一度、自分達の寄って立つ足元をしっかり見据えなければならない。我々が戦後ほぼ無批判に受け入れてきたものの中から、何を良しとし、何を拒絶するのか、もう一度しっかりと考えてみる必要がある。また、戦後失ったかけがえのないものは何なのか。何を取り戻さなければならないのか、そのことも考え直した上で、真剣ににいいとこどりに取り組まなければいけないと思うのである。それは、形式や表現のいいとこどりではなく、精神と思想の調和であり、統合でなければならない。そして、そのことによってのみ創造する伝統の可能性が見出される気がしてならないのである。

「和」の創造的あり方について住宅特集2005年10月号

1.日本的なるもの

私が住宅の設計において常に興味を持ってきたのは、現代の日本の家はいかにあるべきかということである。言葉にすればあたりまえすぎて、プロの設計者の主題にはなり得ないように聞こえるかもしれないが、私は自分が日本人であり日本で設計活動をしている以上、これはいつの時代でも避けて通ることができない普遍的な主題だと考えている。別な言い方をすると日本的なるものとは何なのかということでもある。日本的というとすぐに伝統的な日本文化を思い浮かべるかもしれないが、そうではなく、もちろんそれも含んだうえで、西洋と近代を受け入れ、今やハイテク先進国となり、GNPで世界2位の国力をもつ現在の日本を指してこの国のこの国らしさとは何なのかということを住宅の設計通じて考えていきたいと思っている。考えてみれば日本は不思議な国である。つい150年ほど前までは鎖国をしていてまったく独自の文化を保っていたのが、明治以後、国を大転換して急速に近代化を進め、それが嵩じて大きな戦争をおこす羽目になり、それに破れ国は焼土と化したにもかかわらず、アッという間に国を建て直し、60年後には先進国の一員として、世界の中でももっとも豊かな暮らしができる国のひとつとなっている。

さらにこれだけ急速に近代化が行われたにもかかわらず、国土の2/3はいまだに森林で豊かな自然が保たれており、その自然風土の豊かさからくる日本人の感受性や精神性は 西洋化、近代化以前と大して変化していないように思われるのである。このような日本の歴史を考えると日本という国はつくづく不思議な国だと思う。 きわめて多面的で、不連続で、難解で、特殊である。したがってこのような国の住宅がいかにあるべきかという主題も、その答えは単純なものではなく、奥の深いものであり、真摯に取り組むべき 大切な課題だと考えている。

2.日本へのまなざし

では何が日本的なるものの本質かということだが、それを考えるきっかけとなったのが 学生時代の4年間の留学体験である。私事で恐縮だが主題が関連するので、そのときのことに触れつつ話を進めたい。大学卒業後、MIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院で2年間、その後設計事務所に勤めて2年間、合計4年間の米国のボストンで過ごしたが、その間、異国の文化や風土の中でそこから多くを学ぶことができた。

しかし、それ以上にその4年間は自分にとって、自らと自らの国や、その文化について改めて考え直す貴重な機会だったといえる。留学する以前には、自分は戦後生まれで近代の教育を受け、生活文化もアメリカの影響を受けて育っているので、それほど違和感なくアメリカでやっていけるだろうと考えていた。

しかし、実際にはそう簡単ではなく、さまざまな場面で 自分や自分の国が彼らや彼らの国と違ってくることを思い知らされることになったのである。

3.言語と国民性

まずその最初は言語だった。自分では日本にいる間、十分に英語の勉強をしたつもりでだったが、いざとなると全然通用しない。授業を聴いても、部分的には理解できるものの、少し文章が長くなると全体で何をいっているのかわからなくなる。また、自分の考えを言葉で表現しようと思ってもなかなかうまくできない。この言葉の問題は当初随分と悩まされた。その原因が何かをよくよく考えたところ、あることに気がついた。それは日本語では結論を文章の最後に持ってくる。つまりするかしないかを最後にいうのに対し、英語はそれを主語のすぐ後に言わねばならない。つまり英語は話し出す前にすでに意思がはっきりしていないとしゃべれない言語なのである。私も含め日本人が中・高で6年間も英語を学んでいるのに多くの人が苦手としているのは、実は話す前に意思を明確にするのが苦手だからだったのだ。日本語では結論が最後にくるから、その間、その人が何をいおうとしているかを思い量るくせがついている。あるいは相手の立場となって、その人が何をいおうとしているのかを話を聴きながら一生懸命探ろうとするが、英語では結論が先にくるので思い量る必要がない。逆によほど直接的に意思を伝えないかぎり理解してもらえない。また、日本語は省略が多いため責任の所在がはっきりせず、思い量ったことと結論がずれたりすることが多々あるので誤解を生みやすく、感情的になりやすい。

しかし英語ではそれがないため、冷静な議論がしやすく理論的構築に適している。そして直接的表現をしても相手の感情を傷つけることが少ない。このような言語特性の違いは人間関係や国民性に大きく影響を与えている。日本人は思いやりに富む分依存心が強く、人間関係がウエットであり、 アメリカ人がドライで自己主張が強く個人主義的なのは言葉の違いによる影響が 大きいといえるのではないだろうか。そしてその人間関係のあり方の違いは子育てや家族内での人間関係にも大きな違いをもたらし、ひいては社会の仕組みや家のあり方に根本的な違いをもたらすだろうと考えるのである。

4.気候風土と家のかたち

言葉と同様に、決定的な違いは気候風土の違いである。いうまでもないが日本は湿度が高く、雨が多い。それに対しアメリカは海に面したボストンでさえ、きわめて乾燥していた。たとえば、夏、汗をかいてもすぐに乾いてしまい、日本のようにベタベタすることはない。雨に濡れても同様にすぐに乾いてしまうので、よほどひどい降りでないかぎり傘をささずにいても平気である。一日中靴を履いていても足が蒸れることもない。このように実際に経験をすると気候の違いは歴然としている。当然生活文化にも大きな影響がある。たとえば日本の生活様式がこれほど西洋化しても、家の中では靴を脱ぐのをやめなかったり、毎日熱い湯に入浴する習慣やめないのはこの気候の違いによるものである。また雨が多いことは建物のかたちに直接影響を与えることになる。

元来、日本の建物は雨から身を守るために深い庇(ひさし)を有していた。その庇は木造の建物を腐朽から守るだけでなく夏の暑い日ざしを遮り、冬の暖かい陽光を室内に導く働きをするためその軒内にもっとも快適で魅力的で日本らしい空間をつくり出してきた。

日本の伝統的家屋が屋根と庇を中心に構成されているのは、この雨の多い気候特性によるものであり、壁を中心に構成されている西洋の家屋とは決定的な違いを生み出しているのである。

5.自然観と庭園文化

気候の違いは当然風土や自然の違いを生み出す。雨の多い日本は植物の育成に適しており、植物の種類が豊富で自然の生命力が強い。日本では土地を放置すれば植物が自然に生え、森になってしまうが、大陸の乾燥した気候ではこうはならない。つまり大陸では一度森を失うと自然に元に戻ることはないのである。日本では国土の2/3が森林で、山には深い森があるのがあたりまえだが、これは先進国では特別なことである。

日本ではこの自然の豊かさを畏敬し、それを生活に取り込む工夫が発達したが、その最たるものが庭園文化である。
平安時代以後、日本の庭園は他国に例を見ない独自の文化に発展する。江戸期にはそれが頂点を極め、庭と建築は一体のものして扱われるようになるが、特に住宅においては切っても切りはなせないものに発展する。

「家庭」という言葉が家と庭から成り立っていることからもよくわかるが、この両者の関係の親密さこそ、他の文化にはない日本の住まいの特性なのではないだろうか。

6.日本人と宗教

留学中、あるパーティで「あなたの宗教は何ですか」と問われ答えに窮したことがあった。一応家はある宗派の寺に属し、そこに墓もあるので仏教ということになるだろうが、一方で結婚式は神前だったし、正月は神社にお参りするので苦しまぎれに「仏教と神道だ」と答えたところ、質問した彼は不思議そうな顔をして「どうしてふたつの神を同時に信仰することができるのか」と再び質問してきた。意外な質問に困って「どちらも本当は信じていない」と答えたところ、「日本人はみな信仰心がないのか」とあきれた顔をされてしまった。それ以来、自分が何を信じて生きているのか自問している。他国では一般的に人びとはとても信心深い。それもほとんどが一神教であり、それが国や文化のアイデンディティの基盤となっているので、頑として譲らない。

それに比べて日本人の宗教観はきわめてあいまいで、多くの価値観を同時に受け入れてしまえる多神教的な性格を元来もっている。

私自身、特定の宗教ということではないけれども、おそらくアニミズム的な自然崇拝がベースとしてあり、それに仏教と儒教の価値観が加わったものに西洋近代の合理主義と個人主義のスパイスをふりかけたようなものを信じて生きているように思うが、自分でもいまだにそれは判然としない。

7.日本的なるものの評価

建築的な話題からだいぶ離れてしまったが、このように留学中の4年間で、それまでの「自分は西洋人と大して変わらない」という認識が大きく崩れ、日本の社会や文化がいかに彼らのものと違っているかを知ることになった。同時に、自分がそれらに対していかに無知で無自覚であるかに気づき恥ずかしい思いをした。確かに留学する前は海外に対するあこがれが強く、日本に対してそれほど魅力を感じていなかった。アメリカの近代建築に関する知識はどのアメリカ人学生より詳しかったにもかかわらず、自国に関する一般的質問にさえ、まともに答えられない不思議な日本人が私自身だったのである。そのような体験の積み重ねの中で次第に日本の文化に関心が高まり、それを自覚するにつれ日本に対する見方が変わっていった。日本は平和憲法を持ち、治安がよく、貧富の差が少なく、教育レベルも高く、国民の生活は豊かである。水が豊富で緑に被われており、人の心が優しい。もちろんさまざまな問題をかかえてはいるが、それらとてアメリカ合衆国の社会がかかえている諸問題に比べたら、ほんのささいなものに思えてきたのである。日本は実によい国であったのだ。また、多くの外国人から日本の伝統文化の素晴らしさを賞賛する言葉を聞き、同時になぜ日本人のアーティストや建築家は新しい西洋的なものばかり追い求めて自らの文化を顧みないのかという批判を少なからず耳にした。

当時は日本のポストモダニズムが海外でも紹介されていたが、それは奇異なものとしてしか受け止められていなかったし、日本では上質のモダニズムとして評価の高い作品も、東洋人が西洋・近代をいかにうまく模倣できるようになったかという程度にしか見られていなかったのが実情だった。このような体験から、自分がもし建築家になるのなら、自分の生まれ育った国に誇りを持ち、その社会や文化にしっかりと立脚しそれを基盤とした建築をつくることができる作家になりたい、と考えるようになったのである。それから25年にもなるが、その考えは今もまったく変わっていない。

8.「和」の創造的あり方について

では、このような日本人がどのようにものをつくればよいかということだが、最後は「和」という言葉について語ることで、それについて述べたいと思う。この「和」という言葉を建築家はあまり使いたがらない。それはこの言葉が世間一般であまりに多く使われすぎていて、通俗的だからである。特に「和風」という言葉にひどく抵抗感があるのは私も例外ではない。なぜなら和風といわれた途端に、それは限定された様式に縛られて、自由な創造性を失ったものとしてとらえられ、何よりも「○○風」というのは何かを模倣した偽物を表す言葉だからである。したがって私が住宅を通じて追い求めるものは決して「和風」ではなく、それは、日本的なるものの総称である「和」の今日的あり方ではないかと考えるのである。ではいったい「和」とは何を意味するのだろうかということだが私は以下のように考えたいと思う。まず、一般的には「和」とは住宅においては畳や障子や襖や床の間といった伝統的なエレメントや様式を表すようにとらわれているが、そうではなく「和」とはそれらによって生み出される空間の質、あるいは精神性ではないかということである。その本質は言葉そのものに秘められているが「和」とはすなわち「むつまじい」ことであり、「和らぐ(やわらぐ)」ことであり「和やか(なごやか)」なことである。平穏で、仲よく、落ち着いて、優しい精神状態を重んじる思想であり、そのような心でいられる空間の質をその形式に問わず、和と呼びたいのである。また「和」という言葉には「まじり合う」という意味がある。和音や混和といった言葉で用いられる意味である。さらに「和」はものとものを加えた総体を意味しているつまり足し算の結果としての「和」である。私が注目する部分は実はここであるが、日本的なるものあるいは日本そのものを表す「和」という言葉のもうひとつの意味にものとものを加えた総体という意味があることはとても興味深い。一見何の関係もないようだが、よくよく考えてみると日本の歴史は足し算そのものだったことに気がつく、つまり太古には縄文人が大陸からの弥生人を受け入れ、そのふたつの文化を融合して日本文化の基層を築く、さらにそのうえに中国大陸の進んだ社会制度や文化を積極的に取り入れ、律令国家国家を築いた。長い中世を経て、明治には西欧の科学技術を導入し近代国家へと変身をとげ、戦後はアメリカの影響を強く受け入れながら奇跡的な復興を成しとげている。このように日本は常にそれまであったものに新しい何かを加え、それまであったものと対立しないように調和を図りながら新しい文化を発展させてきた。

それは、それまでのものをすべて捨て去って新しいものを獲得する方法ではなく、それまでのものに加えていく、あるいは調和を保ちながら古いものと新しいものを両立させるというやり方なのである。その意味で日本はまさに足し算の国、「和」の国といえるのではないだろうか。「和」をこのようにとらえるならば、それは古臭い形式的なものではなく、何か新しいものを生み出す創造的精神のように思えてくる。つまり、新しいものや異なったものの価値を積極的に認め、それまでの価値を温存しながらそれらを取り込み、調和したおだやかな姿の新しいものを生み出すこと。それが「和」の本質なのではないかと考えるのである。それはもちろん建築だけでなく、政治・経済・文化のすべてに通用する日本人のしたたかな生き方の本質であるように思えてくる。しかし、では新しいものすべてを受け入れてきたかというとそうではない。実は自分たちの社会や文化で、変えてはいけないものを見極めたうえで、新しく異なるものものの中から、自分たちが和合できるものを巧みに選別し、受け入れ、そうでないものは明確に拒絶してきたのではないだろうか。実はその選別のセンスこそ日本人のもっともすぐれた才能ではないかと考えているのである。いずれにせよ、何が日本的なるものの本質かをしっかり見極めることができないかぎり、日本は自己のアイデンティティを失ってしまうだろう。

逆にそれさえしっかりともっているならば、どのような時代の変化や価値観の変化にも適応できる永続性を獲得できるのではないだろうか。その過程は一見あいまいで、不明瞭で、渾然として、多義的で、矛盾をはらみ不純であるかのように見えるかもしれない。しかしその中に調和を見い出し、それらを統合する努力を惜しんではならない。問題を切り捨てて解決するのではなく、取り込むことにより自己を改新する。このことこそ和の創造的解釈であり日本的なるものの本質ではないかと考えるのである。

9.おわりに

建築の専門誌に掲載する文章としてはその内容が建築離れしている感じがするかもしれない。しかし建築設計において、あらたな取り組みをするとき、何が普遍的かを見極めることが必要で、さもないと軸がブレて自分のやり方や建築の本質を見失ってしまうのだが、その普遍性を考えるにあたっては建築の専門を越えた広い視野がどうしても必要になる。

そのために言語や自然や宗教観の話をした。私は建築はたとえ一軒の住宅であっても、それは歴史や文化の複雑な総体であると考えている。
決して限定された専門家による特別で独りよがりな価値観の表現であってはならない。たとえそのほうが表現として先鋭的で明快であったとしても、その誘惑に屈してはならない。なぜなら、ひとりの人間こそ、歴史や文化の総体であるからである。

そしてそのひとりの人間を包み込むための住宅であるこそ、それは強く自覚されなければならないと思うのである。