ブログWeblog

ブログトップ

「建築の旅」18

2022.12.21建築の旅

こんにちは。

今回はアスプルンドの代表作にして遺作、森の葬祭場を訪れます。ストックホルム中心部から地下鉄で20分ほど、森といっても意外に近い場所にあります。私が行ったのは1993年、今から30年前です。

この施設の設計者は1914年、設計競技によりグンナー・アスプルンドと共同設計者のシーグルド・レヴェレンツに決まりました。当時かれらは共に29歳。以来アスプルンドが55歳で早逝する1940年までの26年にわたって、様々な施設の設計と建設が続けられました。

建築とランドスケープが一体となっていることがこの施設の特徴ですが、これほど体験してみなければわからない施設はない!というのが、私の感想でした。なぜそうなのか、その辺をお話ししたいと思います。
地下鉄の駅から少し歩くと葬祭場の入り口に着きます。両側に高い石垣と植栽により挟まれた通路状の結界があり、来訪者に別世界に入る心の準備をさせてくれます。
それを進んでゆくと、急に視界が開けます。
まず1番に目に入るのは右手の丘で、頂上付近にはなにやら枝振りが怪しげな木々が植えられているのがわかります。
それを見ながら左手に進みます。
ここが葬祭場のアプローチで、ゆるい上り坂になっています。
有名な巨大十字架は、ここからだと背景の森に溶け込んでしまい、わかりません。
床は荒くゴツゴツした自然石を敷いただけで歩きにくいので、つい足元を見てしまい、十字架が近づいてくるのも気づかず坂を上がっていきます。その間はさきほどのあやしげな丘が右手にずっと見えています。
ゴツゴツした石畳の坂道はだんだん勾配がきつくなってきます。左手にも枝振りが怪しげな木々が覆い被さるように頭上に迫ってきます。

そろそろ足が疲れてきたなと思いながらふと立ち止まり顔を上げると...
大きな十字架が突然目の前に現れます。
そして十字架を過ぎると地面はまったく平らになり、足の筋肉は苦痛から解放されます。
右手にはのどの渇きをいやすような水辺が現れ、道の彼方には深い森が続き、その脇に葬祭場のポーティコが見えてきます。
ポーティコにはいると床がそれまでの荒い石畳から方形の切り石に変わり、さらに歩きやすくなります。
すると今度はポーティコの床が礼拝堂の入り口に向かってゆるやかに下がっていきます。
目ではわからないくらいの下り勾配ですが、足の裏と腿の筋肉は敏感にそれを感じ取り、勾配に導かれるように歩くと入り口に至ります。
そして礼拝堂に入ると、その床はさらに滑らかに磨かれたものになり、勾配は引き続き下がっていき、1番低いところに置かれた棺台に至ります。

ここで私はふっと思いつきました。
これまでのシークエンスは、聖書が言う人の原罪とキリスト教による救済を象徴的に示したものではないかと。

つまり、まず初めに目にした怪しげな木々の丘はおそらくエデンでしょう。そこでリンゴを食べタブーを破った人間は、欲望という原罪を背負って楽園を追放されます。(そういえば、丘の上の木の枝ぶりはリンゴの木みたいでした。)

さらに原罪を背負った人間は丘に近づくことはできず、長い苦難の人生が待っていることを丘を迂回して続くゴツゴツとした石畳の坂道で表わしています。

それでも右手に見える欲望の丘には目もくれず、十字架の導きに従って、まっすぐ真面目に励んでいけば、やがて偉大なる神と出会い、苦痛から解放され、最後には滑らかに磨かれた礼拝堂の床のように安らかな人生を終えることができる、というキリスト教の世界観を、空間だけでなく筋肉の体感や足のうらの触覚を通じて語ろうとしているのではないでしょうか。
さらに続きがあるのは、北欧にはキリスト教とは別に死んだら森に帰るという森の国ならではの世界観があり、この施設でも美しい墓地が背後の森の中に広がっています。アスプルンドはこの墓地も設計しているのですが、配置図をみると、墓地内の背骨となる道路の軸線が真っ直ぐ先程の怪しげな木の生えた丘、つまりエデンにつながっているのがわかります。
つまり森こそがエデンであり、死んだらみな楽園に帰るという思いがここにも表されていると思います。
どうでしょうか。これは何かで調べたり誰に聞いたわけでもなく、私自身があの場所で経験した感動から理解したことで、まったくの自説です。でも、アスプルンドは絶対そう考えたに違いないという確信みたいなものがあり、現場にしばし佇んで、ひとりでにやにやしていました。

アスプルンドのこの作品に多くの人が共感するのは、背景にこのようなストーリーが隠されていて、訪れた人が無意識にそれを感じ取っているのからなのかもしれません。

そして、私のような異教徒にもわかるわけですから、この空間には万人が理解できるわかりやすさがあると思います。

そのわかりやすさというのは、言葉で説明してわかるようなものだったり、歴史上のイコンやシンボルを介して理解したりするものではなく、空間表現のみにより直接、感覚と無意識に訴えるわかりやすさだというところにアスプルンドの建築の素晴らしさと普遍性があると思います。

古典主義ほどイコンや形式にとらわれず、近代主義ほど人を抽象化せず機能を即物的にとらえない。人の心理に建築と空間がいかに影響を与えるかを真面目に考えた希有な建築家だと思います。
ウッドランドチャペル。
とても小さく崇高な建築でした。
管理事務所。これもアスプルンドの設計。
右手壁の下がアスプルンドのお墓です。この施設の設計に一生を捧げた建築家でした。

では次回は、ラルフ・アースキンの自邸を見にいきましょう。

お楽しみに。
(横内)