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「建築の旅」20

2023.01.06建築の旅

あけましておめでとうございます。
新年の「建築の旅」はフィンランドからスタートします。

フィンランドといえばアルバ・アアルトが有名ですが、その前にエリエル・サーリネンの建築を紹介しましょう。彼はエーロ・サーリネンの父であり、近代以前の北欧ロマンティシズムを代表する建築家の1人です。
まずは彼の自邸兼アトリエである、ヴィドレスクを訪れます。
敷地はヘルシンキから西に30キロほど行った湖のほとりの森の中にあります。
サーリネンは若くして建築家としての才能を開花し、27歳の時、大学の学友だったアルマス・リンドグレンと、ヘルマン・ガゼリウスの3人で設計事務所を立ち上げます。
そして1903年、30歳にして、彼ら3家族の共同生活の場であり仕事場でもあるヴィドレスクをこの地に建設するのですが、この建築に見られる独自の様式だけでなく、大都会を離れ、森と湖に囲まれたフィンランドならではの自然豊かな環境で食住一体の生活をするという行為そのものが、当時欧州各地で勃興しつつあった民族的ロマン主義の理想を表現するマニフェストだったのではないかと思うのです。
それゆえに、ヴィドレスクはその後、当時の時代の流れに共感する、芸術家や文学者や思想家など、様々な人が訪れるサロンともなっていたようです。
また、ここでの共同生活は特異だったみたいで、ガゼリウスの妻はサーリネンの先妻だったり、人間関係は複雑かつ濃厚なものがあったようです。そのせいかは知りませんが、ガゼリウスは3年後に亡くなってしまい、リンドグレンも2年あまりでここを出て行ってしまって、以後はサーリネンの家族と事務所が残ることになります。
フィンランドはヨーロッパの中ではキリスト教の影響が弱いのでしょうか、夫婦や男女間の倫理もカトリックやプロテスタントの国とは違ったものがあるのかも知れません。

上がリビングルーム、下がダイニングルーム。
寒い国なので、いずれも窓は大きくはなく、近代建築とは違う薄暗い感じのインテリアでした。
各室には必ず暖炉があります。
それにしても各室のインテリアのテイストが違っているのには驚きます。若かったから既成の様式に反発して色々なことをやってみたかったのでしょうか。
それとも3人で設計したからこうなったのか。

これはカヴァードテラス。
濃密な人間関係の物語を知ってしまったせいか、外観もインテリアも、何か果てしない欲望の影みたいなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
特に住宅には設計者の人格や心情が無意識に現れてしまうのが怖いところですね。
これはアトリエ。
北側の天窓からの安定した光が綺麗でした。森のような深い緑色に塗られた壁も素敵です。  


建築のスタイルはともかく、大都市を離れ、その国の風土を象徴するような豊かな自然環境の中に仕事場と住まいを置くというサーリネンのこのやり方には、実は大いに共感し、影響を受けましたました。
ヴィドレスクを訪れたのが1993年、私は39歳でしたが、その6年後に私も自宅近くの森のなかにアトリエを作ることにしたのです。

サーリネンはその後、代表作となるヘルシンキ駅を完成させます。


そしてヨーロッパの古典的建築様式とは違った独自の様式をつくりあげます。
サーリネンは1922年、シカゴ トリビューンタワーの国際コンペで2等入選となった案が高い評価を受け、それを契機にその翌年に家族と共にアメリカに移住してしまいます。

20世紀初頭に欧州の各地で高まりをみせた民族主義は結果として第一次大戦を引き起こすきっかけとなり、その混乱を経て、時代はインターナショナリズムへと大きく変化しようとしていました。そんな流れを敏感に感じ取ったのか、サーリネンは民族主義に見切りをつけ、20年住んだヴィドレスクを後にします。
渡米した後はミシガン州にグランブルックアカデミーという美術学校を開設し、エーロ・サーリネンやチャールズ・イームズなど、後身の育成に貢献しました。
では、次回はアアルトの建築を見に行きましょう。

お楽しみに!

(横内)