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「建築の旅」23

2023.01.27建築の旅

今回は、ローマの南西20kmほどにあるオスティア アンティカ遺跡を訪れます。
今は海から3kmほど内陸にありますが、元はローマの中心を流れるテヴェレ川の河口にあり、紀元前4世紀頃から栄えた港湾都市の遺跡です。

ポンペイほど有名ではありませんが、街全体が残っていて保存状態も良く、私が訪れた40年前は観光客がほとんど行かない場所だったので、朝から夕方まで2000年ほどの時間をタイムスリップしながらゆったりと過ごすことができました。
パンテオンを作ったハドリアヌス帝の時代に、神殿や市場や公衆浴場など多くの公共施設が整備され、今の姿となったようです。道路は石畳で舗装され、上下水道も整備されていましたので、約2000年前、日本はまだ弥生時代にもかかわらず、古代ローマの都市では現代に近い生活をしていたことがわかります。これは驚きですよね。

これは神殿の遺跡。

古代ローマはギリシャの文化を敬い、継承しましたので、建築様式もギリシャのオーダーで装飾されていました。しかし躯体構造は、ギリシャ時代の石造から、煉瓦のアーチを用いたコンクリート造に発展し、それにより大規模な建築が可能となりました。
古代遺跡では、表面を覆っていた石の装飾はのちの時代に剥がされて他の建物に再利用されたためほとんど残っておらず、躯体だけしか残っていないのですが、装飾の否定から始まった近代の建築家にとっては、その方がむしろ親しみやすいのかもしれません。
これは野外劇場。
ローマの都市にはどこにも野外劇場が作られ、それがローマのアイデンティティの一つにになっていました。
もう一つのアイデンティティは公衆浴場。
様々な種類のお風呂が楽しめるようになっていて、ローマ市民の社交の場でもありました。
このような娯楽施設が多いのも、現代社会とよく似ています。

これは居住区の建物で、元は4階建の集合住宅でした。
1階は店舗で2階より上にはバルコニーがあるなど、今とほとんど同じ形式です。建物に沿って一段高い歩道が設けられていて、車道とは区別されているのも同じです。
これは復元された一階の店舗部分。ワインバーか何かでしょうか。
両袖壁には向かい合うようにベンチが作り付けてあり、カウンターにいる店主と3人でおしゃべりしながらワインを飲んで楽しんでる様子が目に浮かぶようですね。ローマは夏暑いので、欄間に換気口が空いてるのも気が利いています。

ちなみにこれはローマの水洗便所。
便座の下に水路があり、汚物が流れるようになっています。これ、自動水洗ですよね。後の中世ヨーロッパよりよほど衛生的だと思います。

ローマの建築はコンクリート造ですが、煉瓦を積んで型枠にしていますのでコンクリートは露出していません。かつては煉瓦の上にもしっくいやモルタルが塗られていたようです。いずれもコンクリートをしっかり保護していたため、2000年の風雪にも耐え続けたのでしょう。
すでに素晴らしい建築技術を持っていた古代ローマでしたが、それでも壁に一つの開口部を設けるのがいかに大変だったかが下の写真から伺えます。どんな小さな開口部でも疎かにしないものつくりの精神が素晴らしいですね。
だから残ったのでしょう。

この古代ローマ建築の普遍性はその後の建築の歴史に大きな影響をもたらします。現代の建築家への影響も例外ではありません。
ルイス・I・カーンは特に古代ローマ建築の影響を受けた建築家でした。


それでは、次回も引き続き遺跡を巡ります。
お楽しみに!

(横内)