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「建築の旅」30

2023.03.17建築の旅

こんにちは。
盛期ルネサンスを代表する芸術家ラファエロの「アテナイの学堂」です。
バチカンにあります。
1483年に生まれ、若くして類い稀な才能を発揮し、ローマで大活躍しますが、1520年37歳の若さでなくなってしまいます。ローマ市民は偉大な天才の死を悼み、彼の遺体はパンテオンに埋葬されました。

ブルネレスキやボッチチェッリに始まり人間の理性による写実と古典様式の復興を目指したルネサンスは、16世紀の初頭にはミケランジェロ、レオナルド ダ ビンチ、ラファエロらによって圧倒的な完成の域に達します。

1520年以降はあえてプロポーションを崩したり、写実を超えて非現実的な色彩を用いたり、理性だけでは表現できない人間性を求め、マニエリスムの時代に入っていきます。
これは1526年頃に描かれたポントルモの十字架降下という作品で、マニエリスム期の絵画です。体が不自然にねじれていて、手足のプロポーションがゆがんでいるのがわかります。

1508年に生まれたアンドレア パラディオはそのような時代の変化にもかかわらず、あえて正統的なルネサンス建築を追求します。
彼にとってマニエリズムの旗主である1475年生まれのミケランジェロは父の世代、ルネサンス建築の巨匠である1944年生まれのブラマンテは祖父の世代にあたります。私自身もすぐ前のポストモダン建築ではなく、祖父の世代である前川國男や吉村順三の作風に惹かれた経験があり、パラディオの気持ちはよくわかる気がします。


ヴィチェンツァはヴェネツィアの西50kmほどの内陸にあります。中心部が1km四方ほどの小さな街ですが、20以上のパラディオの建築が集中しています。
これはバシリカと呼ばれるヴィチェンツァの中央公会堂です。
1546年、中世に作られた古い躯体に付け加える新しいファサードの設計コンペで、38歳だったパラディオの案が名立たる有名建築家たちの案をしりぞけて採用され、実現しました。
連続アーチや大小の柱のリズム感が美しく、古典的建築の雄大さを見事に再現しています。彼もブルネレスキを見習いローマを何度となく訪れ、古代ローマ建築の研究をしたようです。
既存躯体のスパンに左右される出角の処理はさぞ難しかっただろうと思います。

パラディオはこの作品で一躍有名になり、ヴィチェンツァで次々と作品を作ります。初期の作品の多くはバシリカと同じく既存の躯体にファサードだけ付け加えたものでした。
様々な手法を試しているのがよくわかりますね。
それらの中でも、パラッツォ キエリカーティは秀逸でした。

プロポーションが美しいとは、こういうことなのだと思いました。
それは単なる立面の数学的比例だけではなく、まず光と影の対比、縦材と横材の対比、線的なものと面的なものの対比、装飾的なものと非装飾的なものの対比などなど、全ての対比のバランスがよいことではないでしょうか。
1階の柱に比べ、2階の柱が少し細く、少し長いのが分かりますが、重力の理にかなっているということが、美につながるのだと思います。


そして圧巻はやはりヴィラ ロトンダでしょう。
それは街外れの丘の上にあります。
時を超えた普遍性だけを純粋にを形にしたような建築でした。
一応ヴィラですから別荘なのですが、ほとんど機能はありません。ただそこにあり続けることだけで人の理性の偉大さを感じさせてくれる建築でした。
建築とは本来そういうものかも知れません。
ディテールや装飾は当時としては驚くほど簡素で、それらに頼らず、空間構成とプロポーションだけで勝負しているのがよくわかります。1566年、パラディオは58歳、自己のスタイルを確立した時期の作品です。


ヴィチェンツァで名声を得たパラディオはヴェネツィアで2つの教会を手掛けます。
その一つがサン ジョルジョ マジョーレです。
外観は構成が明快で力強く、内部は無駄な装飾がなく簡素にして気品のある優しさに満ちています。


もう一つはイル レデントーレです。この教会は16世紀半ばにヴェネツィアで猛威を振るったペストが1576年に収束したことを神に感謝するためにつくられたもので、1577年に着手し、パラディオが亡くなった後、1599年に完成します。
小さな教会ですが、ヒダの多い内部空間は古典様式の規律を遵守しながらも次に来るバロック建築を先取りしたような躍動感に満ちています。
おそらく品格のある建築とはこういうものなのでしょう。

まずどの要素も調和し合っていて過不足がありません。
空間構成は明快ですが、その明快さの中に多くのヒダを抱えており、単純すぎることも、複雑すぎることもありません。
素材は限定され、装飾も適切で、質素すぎることも、華美になりすぎることもないのです。

パラディオがいう建築におけるプロポーションの良さというのはこういうことなのだとイル レデントーレを見て納得しました。


最後にパラディオの遺作となったテアトル オリンピコを訪れます。
古代ローマ時代の野外劇場を室内に再現した建築ですが、舞台の上にも古代ローマの街が作られていて、その奥にはヴィチェンツァの街がミニチュアで再現されています。
背景の中には小人の役者が登場して遠近感を出したようです。

1585年、パラディオが亡くなった後で完成しますが、彼の古代ローマに対する強い憧れを直接的に表現した作品だと思います。

ルネサンスに最も遅れて乗り込んだパラディオは、ブルネレスキ、アルベルティ、ブラマンテなどの偉大な先輩たちから全てを吸収し、古代ギリシャ、ローマ建築を規範としたルネサンス建築の集大成として、独自の古典様式をつくりあげます。

そして1570年、その理念や美学や手法を豊富な図面とスケッチを用いて紹介するために、ルネサンス期に始まったばかりの活版印刷術と紙の生産をいち早く取り入れ、「建築四書」を出版します。

そしてこの建築四書により、彼の建築スタイルは古典様式の規範として、後のヨーロッパやアメリカの建築に大きな影響を与えることになります。


では次回はルネサンスから約100年前のバロック期のローマを訪れます。

お楽しみに!
(横内)